2013年6月22日土曜日

微光と湿潤感の素晴らしい描き手ですね―生誕140年記念 川合玉堂―日本のふるさと・日本のこころ@山種美術館×青い日記帳のブロガー内覧会

江戸時代までの絵は好きだけど、その後の画壇のことは松園やら、大観程度の名と絵は多少見たものの、全然詳しくないまま、院展にしろ、日展にしろ、公募展を見るようになって、その決まりきった号数の中に押し込められた日本画が好きになれず、海外の画家達の絵ばかりに目が行っていた私を、日本画の世界に目を向けるようにさせてくれたのが山種美術館さんであります。なので、できうる限りこちらにお邪魔するべく、伺ったら次の前売券なんぞをせっせと購入したりしているのでありますが、年間パスポートできないかしらん?


それはさておき、そんな山種美術館がブログ「青い日記帳」の中村さんとタイアップした内覧会(割引入場料と解説+お菓子つき♪)を開いてくださるというFB記事を見つけ、早速応募、今回は先着順ということで、当たらないかも。。という不安もなくやってきました!・・・と言いたいところなのですが、オッチョコチョイの私、当日になって、確認メールを「プリント」して持ってこなくてはいけないという指示事項に気付き、しかもプリンタインクが一部欠けていてどないしよう???と焦った事は、ナイショ(嘘)です。

この内覧会、何が素晴らしいって、川端龍子の《梅(紫昏図)》一点を除き、作品の一点撮りは勿論、クローズアップ等、自由に写真を撮影させてくださる事。と、いうか、逆に、自分の目で切り取った写真をアップすることも奨励してくださること。
とはいえ、いくら、山種さんの厚みの薄く、反射の少ない、特殊なガラスケースといえども、素人写真では、どうしても、ケースに反射した映像が写りこんでしまう。。という問題はありますが。。。(滝汗)
いずれにせよ、写真満載の本日のレポートは勿論、美術館の許可を得て撮影させて頂いております。
でも普段は撮影できませんので、あしからず。その代り、写真の綺麗で、そして薄く仕立ててある図録が1000円で購入できますので、記憶の代用をそちらにお任せすることは誰にでもできます。(笑)

さて、川合玉堂。
冒頭の告白通り、山種美術館さんで何枚か拝見するようになったけれど、今回の展覧会に至るまで、イメージとしては、なんか、田舎とか、景色とか、まんがちっくな「人」を描いているなぁ、程度で、気に入った作品とか、強い印象はなかったわけです。確か2007年に没後50年の展覧会がこちら(三番町時代)であったと思われるのですが、行ったのかもノート等を探さないと判然としない程度。今回の展覧会は、この美術館がお持ちの全71点をはじめ、近美や玉堂美術館(というのが、青梅にあるんですね。。初めて知った!)から借りてきた作品もあわせ関東では30年ぶりの大回顧展というわけです。

そんなわけで、今回の内覧会後の交流会
(つぶやきやらの投稿のネタをスライドで館の方が紹介しながら、他の人はこんなところに注目していたんだ!と気付き、もう一度焦って会場に行くことが可能な時間・・ですかね。前回の竹内栖鳳展(やっとこさ、記事あげました・・苦笑) http://pikarosewine.blogspot.jp/2012_10_01_archive.html
の時は用事があって交流会始まる前に失礼したので、初めて全容がわかりました。(でへ))

で最初につぶやいてみたのは、こんなこと。


#玉堂展 今日は山種美術館で内覧会。ウェブでみて随分作品の数が多いと思っていたが、所蔵の七十一点全てを公開しているというゴージャスさ! pic.twitter.com/pZP7xQU0Yr 

全点公開(前後期に分かれていますが)は今回の展覧会のみどころです

数ばかりではなく、15歳の頃の写生帖(コドモの時から巧い)

《写生画巻 「花鳥」15歳写生》明治21年 一部 玉堂美術館蔵
《写生画巻「花鳥 15歳写生》 一部 丸山派が写生を大切にしているということも影響があるのでしょうけど、うまい人は子供の時から巧いですよね

から晩年の作品まで網羅されています。
《沸く雲》 昭和31年 亡くなる前年ですね。でもしっかりした文字と雲の表現が美しい

巧い人にありがちな、ひとつところに飽き足らない要素は、最初に習った円山四条派にとどまらず、その画法で賞を取った内国勧業博覧会に出品されていた狩野派系の橋本雅邦の絵に感銘を受け、妻子を引き連れ京都から東京に行って弟子入りする行動力に現れています。
それ以外にも琳派風のたらしこみや朦朧体など色々な手法を取り入れ自分のものにする努力をしていたようです。

巧さ・・・今をときめく松井冬子画伯をして第一室の最初に掛かっている《鵜飼》を見て、「21歳でこの絵をかけたなんて、負けた!」と言わしめたとか。(ちなみに図らずも玉堂の命日である今度の日曜、6月30日の日曜美術館の本編で、今回の展覧会が取り上げられるそうで、そのゲストが松井さんというわけです。)

山崎館長は、ご自身の研究対象である速水御舟には松井さんは全然反応しないのに・・・と嘆息気味ではありましたが。

それくらい巧い、ということなんですけど、それでも、それだけだったら、やっぱり、印象が散漫なままだったかもしれないので、解説頂いたキャッチーな言葉をご紹介しつつ、玉堂の魅力と特徴を探ってみましょうかね。

筆ネイティブ・・・・(先般講演会をされた河野先生のお言葉だそうです。)
玉堂はスケッチも全て筆で行っていたみたいですね。絹本に墨は難しいと聞いたことがありますが、やはり巧い人なんだな。
なるほど、そうやって画帳を眺めてみると・・・・たしかに筆のタッチ。ま、↓はさすがに紙本ですが。


《写生帖「写生縮図」明治25年7月》解説にもあるように前年の岐阜の大地震で実父を亡くしたそうですが、倒壊した石灯籠や、応挙が描いていた犬の模写などをして勉強に励んだようですね。》

いや、実際、玉堂は字も達筆で、俳句も作られたそうなのですが、どうです?
《秋夜》昭和30年 紙本・墨書淡彩














この、扇面の文字と小さきもののへの慈しみと観察がするどい筆使い!ステキですよね。これは大変気に入りました。

《秋夜》 部分を拡大して。。。このキリギリス、なんとも美しい

微光表現・・・(これも河野先生のお言葉として紹介されました)
日本の優れた画家は太陽光とは違うほのかな光の表現に長けているとか。(つまりは同じ光に注目していても外光派とか印象派とは違うという意味でしょうか)そして玉堂もその一人、というわけです。これが、ウェットな感覚の日本の風景にあっているとかいないとか。

たしかに、どこから光が当たっているわけではなくぼわっと、明るい感じがする絵が何枚もありますよね。

そして、笑ってしまったのは、

重量文化財・・・・またまた河野先生のお言葉
えっ?重でしょ?いえいえ、重要文化財になるには重量があるほうが可能性があるとか。その真偽のほどは別として、近美よりお借りしている《二日月(ふつかづき)》は、その素養があるとかないとか。。笑 あれっ?《二日月》は軸絵だから重量あるわけないじゃん。隣の《紅白梅》の屏風だったかしらん?
ま、これは、玉堂の特徴を現した言葉ではないけれど。。苦笑

いずれにせよ《二日月》は夕方の景色を描いていて、赤や青の化学顔料にも手を出したらしいのですが、(比較的すぐに?)退色してしまった事を玉堂は残念がっていたとか・・どれが化学顔料の退色痕かは判別がつきにくいですが。
《二日月(ふつかづき)》明治40年 東京国立近代美術館蔵



判別つきにくいといえば・・・
二日月の淵の影は、金なのだそうだけど、写真にするのは難しいねぇ。。肉眼では何となく確認でけた #玉堂展 pic.twitter.com/xwRj1ENWNx

・・・ってぇ。。慌てて書いたら縁が淵になちゃったし、まるで月の淵のようになってしまったけれど、左側の葉の縁デス、全く慌てもんめ!

《二日月》 部分 ツイートした時はデジカメじゃなかったので色がわからなかったけど、この写真は結構わかりやすい?かも。。。


キャッチーな言葉以外に玉堂の作品の特徴を私なりに表現してみると・・・

その金使い、日本画描いているひとなら、誰でもどこかに忍び込ませていることは多いとは思いますので、これが特徴という風にはいえないけれど、今回初めてよくわかったのは、岐阜出身の玉堂ならではの画題。。。

鵜飼い

や、釣りをする人の場面が多いこと!それで、つぶやいたのは

玉堂は鵜飼いの絵を4-500描いたとかいうことですが、今回展示のいずれも色々な角度で、炎の色も金だったり、黄口朱?だったり。。。 #玉堂展 pic.twitter.com/eecVynggdd


黄口朱?と書いた部分、黄口本朱などとして専門画材やさんのページに色がでていますね。例の松井画伯が負けたと悔しがった《鵜飼》(明治28年)に使われているのはこの赤、これに対し、昭和14年に描かれた《鵜飼》では、篝火の炎の色が金色に輝いています。もう一枚展示されていた昭和23年の《鵜飼》の絵ではまた赤っぽい色になっているけど、どんな色の絵の具を使ったのか、画材やさんのページをにらめっこしながら見るのも楽しいかも。

そして、私がこれは!と思ったのは

湿潤な空気感と雨の表現が秀逸

春草の描く朦朧体が好きな私にとっては、やっぱり、その点がツボでした。
《渓山秋趣》 
橋本雅邦に入門して描いたという狩野派風の山河の絵・・とはいいながら淡い色の水流が穏やかな印象の《渓山秋趣》

の次に並ぶ《雨江帰漁(うこうきぎょ)》(明治45年/大正元年)は朦朧体・没骨法を思わせる描き方ですが、雨の表現が秀でています。写真が拙いせいもありますが、やはりこのタッチは肉眼で見たほうが圧倒的に素晴らしい。
《雨江帰漁》 
雨の表現は他にも《烟雨(えんう)》(昭和16年)、《水声雨声》(昭和26年)などがあり、私にとっては、こういう絵を描く人なんだ、と新たな発見となりました。
《烟雨(えんう)》文字どおり、けむるような細かい雨のもたらす空気感が素晴らしい
《水声雨声》 水車におちる水や人が特徴ということなのですが。。。

《水声雨声》(部分)私にとってはこのけむるような雨の表現がツボ・・絵の見方は人によってさまざまということで・・

優しい人柄が絵に表れている
館長が一番お好きだと言われていたポスターにもなっている《早乙女》
《早乙女》昭和20年頃 表情もそうなのだけど、戦時下でありながら、日々の人々の営みを描き続けたということで、ある意味ほっとさせられますよね。でもあぜ道は琳派風のたらしこみ技法によって描かれたりしていて、なかなか乙な作品ではあります。最近田植え体験した私には親近感が沸く絵です、個人的には・・・
を始め、私が「まんがちっく」な「人」と言っている人物の表情を見ると、皆笑っていたり、ほのぼのしていたりするわけですが、そればかりでなく、なんと唯一の戦争画といわれている《荒波》ですら・・・近美に掛かっているフジタを初めとした戦争画の荒々しさや、絵に篭められた悲哀や皮肉・・・とはかけ離れた世界感。確かに荒くれた波なんだけど、水色を使っているせいで、おだやかな印象が残ります。

戦争画を描いたと聞いても直ぐにそれとわからない《荒波》は玉堂なりの戦争への気持ちが表れているとのこと。画家の優しさがこういうところにも現れているのね。全体的に色も柔らかい。波だけが荒ぶれている。 #玉堂展 pic.twitter.com/Va8BdDXZSv
posted at 19:08:19

あと、殆ど海外に出なかったという玉堂が一度だけ岡田三郎助(オット、コノ間ブリヂストンデ登場シテマシタヨネ)とともに朝鮮半島に行った時の絵《緑陰閑話図》に登場する老人のにこにこした顔、これがまたほのぼのしているんだなぁ。。この絵は戦後行方知らずになって、今回の展覧会を期に個人の方(大倉家ノヨウデスネ)にお貸し頂いた、そうで、昭和5年以来一般の目に触れるのは初となるレアもののようです。
《緑陰閑話図》上が全体、下が部分 良い感じですよね。
レアもの、といえば、今回の図録に載っていないのが、参考出品の《写生入り書簡》(昭和5年)香港に転勤している娘婿に孫の出生を知らせる手紙です。当時は写真の現像に時間がかかったので、一刻も早く子供の顔を見たいだろうという思いで描いて送ってあげたようです。こんなところにもやさしさがあふれていますね。
参考出品《写生入り書簡》
《書簡(山崎種二宛)》
書簡は、こればかりではなく、深く親交のあった、山種美術館創設者で現館長の祖父でおられる山崎種二氏との交流を示す書簡も展示されており、これがまた達筆で、目の保養になります。





交流という意味では、横山大観、竹内栖鳳と昭和9年に、そして昭和17年の栖鳳の逝去後は大観と川端龍子との《松竹梅》をお題にした作品を描いています。栖鳳の葬儀に向かう展望車つきの特急かもめに乗った玉堂がやや興奮気味に書いたという《加茂女13首》は栖鳳との交流がなければ生まれなかった作品でしょう。今回写真NGの龍子の《梅(紫昏図)》は黄昏は黄色というイメージを払拭する大胆な紫色で、良い絵です。是非実物を見ていただきたい。
そして玉堂の竹には可愛い鳥が描かれています。このあたりが玉堂らしい・・・とか。
左 栖鳳の梅 中 大観の松 右 玉堂の竹

左 大観の《松(白砂青松)》右 玉堂の《竹(東風)》 昭和30年

ちとピンボケになってしまいましたが《竹(東風)》の中に胸の赤い鳥さんが・・・


さて、では、今回、私がどの絵に心を奪われたか?
今まで書いてきたなかでは
■雨のシリーズは、心惹かれます。《雨江帰漁(うこうきぎょ)》《烟雨(えんう)》《水声雨声》
■《秋夜》
■《荒波》の海の水色、この水色は《渓山秋趣》でも似た色になっていて、面白いですよね。
■《鵜飼》のシリーズは見始めると結構はまりますね。

そしてまだ触れていなかった作品の中では・・・
■《虎》 昭和20年頃 色々な人の虎を見てきましたが、この姿勢はいいですね。でも写生をしていたという割に鳥とか虫はいいけどそのほかの動物はピンと来ないかな。。。

■《ふき》 このふきに止まっているほたるの絵がFBで紹介された時、是非見たい、と思った作品です。玉堂には直接関係ないですが、内覧会の時にちょっとしたエピソードが紹介されました。
いつも山種美術館の展覧会では、併設のカフェ椿で、展覧会に因んだ和菓子(や温麺の時もあったな)を提供しているのですが、交流会の時に中村さんがこの和菓子ができるまでの試行錯誤を取材したとかで、この蕗をモチーフにした菓子が他の二点の失敗作とともにご紹介されました。
接写させていただけるのが、今晩の内覧会の特典だす、ついでに、お菓子の失敗作迄見せて頂けるのも特徴!この蕗にとまっているホタルは、じつぶつもみるにが楽しみにしていた絵だけに、失敗作であっても、食べて見たかったなー。笑 #玉堂展 pic.twitter.com/h3KilhbgDF
(私のツイートもまたまた失敗作ですね。自爆  実物を見るのを楽しみにしていた。。と書きたかったはずですが。。滝汗)

これが《ふき》 色合いも淡い緑の葉にほたるが一匹

絵と同じようにふきの上にホタルを載せてみたもののちょいと美しくないということで最終的に落ち着いた菓子はじつに涼しげですよね♪
小さくてわかりにくいかもしれませんが左がふきです。


これも失敗作の梅 《紅白梅》図屏風からの発想のようで、悪くないように思えますが。。。

これは松竹梅の竹の絵から発想された筍とか。。
 いずれにせよ、この和菓子の制作裏話は青い日記帳で必ずや紹介されるでしょうからこの辺で。。で、恐らく一番気に入ったかもしれないのが・・・

■《紅白梅》 玉堂美術館蔵
尾形光琳の《紅白梅図屏風》-国宝 MOA美術館蔵 http://www.moaart.or.jp/collection/japanese-paintings54/
を連想させる・・・と解説されていたのですが、確かに技法的には琳派的手法であるし、紅白梅図なんだけど、どうかなぁー。光琳のはあの流水の超モダンなデザインと古びた紅白梅が左右に配されたところが特徴ですが、玉堂には流水もなければ古木の枝ではあっても、元気な枝ぶりで、実にリズミカルで美しい屏風絵という印象。むしろ、《燕子花図屏風》 -国宝 根津美術館 の方が印象的には近いかも。いや、燕子花図屏風》だって、リズミカルにプリントを連続させたような、パターンの連続=その時代としては大変斬新な試みで、やっぱり、この《紅白梅》はそれとも違うな。とはいえ、リズミカルな印象は同じ・・・

右隻側からみると、全ての枝が繋がっているように見え、非常にしっかりした梅の木の風情があるし、
左隻側からは左隻側に紅白がちらされているせいで、より梅の優美な表情がわかるし、
左隻の梅は途中から生えたように描かれている一方、右隻は屏風の下から木が生えているように見えるので、左右のアシメトリーな感じが逆に不思議なリズム感を更に出しているように思います。
それでいて、近くによれば愛らしい鳥が枝に止まっているのも玉堂らしいチャームポイントなのでしょう。箔がすれていないので、まだ新しく大変美しいのも、また印象を強くさせた原因かもしれませんが、いずれにしても、玉堂のイメージを新たにする作品でした。




最後に・・・
プリントノカミワスレソウニナッタ私ガイエタギリデハアリマセンガ、アイカワラズ館長ノ説明ノ時にパシャパシャヤッテイル人多カッタナァ。ソレニオハナシニウナヅクノハイイケド、大キナ声デウンウン、ッテイウ声ヲアゲル人ガイタノモ耳障リデ集中デキナカッタナァ・・・モウスコシ周リノ参加者ニ気使イマショウヨ・・・ともう一度つぶやきたかった私でした。

いやいや、山種美術館さん、中村さん、素晴らしい内覧会を開催して頂きありがとうございました。
後期は、玉堂らしからぬ(?)歴史人物の絵など、写真が撮れない分、じっくりと、見させていただこうと思います。

【特別展】生誕140年記念 川合玉堂―日本のふるさと・日本のこころ―
山種美術館
2013年6月8日(土)~8月4日(日) 前期  6/8-7/7  後期 7/9-8/4

おまけ
いっつも、地下の展示室に下りると自動扉があって、そこに窓があるなー、と思っていたのですが、(他の美術館では窓のついた仕切り扉は見ないように思います)その写真をとってつぶやいてくれた人のおかげで、その秘密(大げさ?笑)がわかりました。
なんと、正面に掲げた看板の文字、或いは絵がその窓から見えるように、毎回看板を作る時に計算して作っているとか。今回は真ん中に文字が来ていますが、次回から、注目していきたいと思います。


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